社会人になる前の他己分析

 私は中途半端という言葉がぴったりな人間である。友達と飲んでいると、自分という人間をどれほど知らないかを思い知らされるが、このことを改めて認識する良いきっかけとなった。
 まず一点目。普段は非ヲタのように必死に振舞っているが、いざヲタの中に飛び込んでみると、すごく話が合う。その一方で、彼らと深く関わろうとすると私の理解し得ない領域に踏み込んでしまう。普段は一般人のふりをしているものの、話題の少なさは否めない。
 また、自分自身の生活も中途半端なものであることに気づいた。大学の研究室とアルバイト、そして遊びに対して5:2:3くらいの割合で配分している。しかし、このどれも中途半端であり、どこか海外に行くということもないし、研究室ではボトルネックとなり、アルバイトでは特に重要な仕事はしていない。
 思い返せば一年前、あのころはアルバイトに全力を捧げていた。大学が始まっても、研究:アルバイト:遊びの比率は2:7:1くらいだったように思う。むしろ、私にとってはアルバイトが遊びのようなものだったかもしれない。勤務日数はさほど多くないが、9月の給与は30万を超えた。このころが自信過剰なほどであったし、毎日が楽しかった。
 一方の今は、特にどこに重点を置くわけでもなく、行き過ぎないように我慢する日々である。アルバイトをしないと生活は困難であるから惰性で続けつつ、卒業するためだけに研究をし、ストレス発散のために遊ぶ、そんな平凡な生活をしている。
 そして、私は多くの点で自信を失ったように思う。これまでは出所不明の自信と確信があったが、今は将来に対する不安も感じる。もともと負けず嫌いで、部活でチームメイトに負けたときは泣きじゃくった私だが、絶対に負けたくないところでは努力を惜しまなかった。そのおかけで、私の高校以前の学力からは考えられない大学に行ったわけだけど(まあそれでもね・・・ってレベルですが)、大学の研究室に所属して、自分の力の無さ・頭の悪さを実感することとなった。成績は良かったが、これと頭の良さはまったく関係ないものだなあと実感し、努力しても「勝てない」とアカデミックな世界では初めて感じた。
 こういう症状がうつ病なのか?と思うこともある。ただ、病気だから研究する気にならないというより、研究が好きではないから研究する気にならないんだと思いたい。理系の人間が大学院に行くのはアタリマエだが、私は人生の選択を失敗したなと修士2年になって思う。ただ、学部3年の時は世間を知らなすぎたし、自分の興味や適正も知らなかったから、それを知るうえではこの2年間は有用であった。逆に、自分のことをよく知っていて、やりたい仕事が大学院に行かなくても大きく不利にならない業種であるなら、とりあえず社会に出るべきだなあと強く感じる。
 同学年の文学部の友人が、私のアルバイト先に新入社員のプログラマとして入社したのだけど、彼は私をあっという間に追い抜いてしまった。センスの問題もあるけれど、仕事は大学の研究よりもはるかに拘束性が高いわけだから、成長率はとてつもなく速い。もちろん、研究に全精力を捧げている人間もいるけれど、私は嫌々研究をやりながら、バイトに全力を注いだので時間的制約・もともとのセンスという点で勝ち目が無かった。
 私は彼と話すたびに、早く社会に出たいと思うのである。仕事が楽しいものだという確信は無いけれど、全力でやる価値があるものだという確信はある。給料ももらえるしね。